豊橋競輪の出走表はS級選手が配送する!?(情報提供者・輪隣人さん)

どこの競輪場でも、出走表は前夜7時頃に、競輪場入口横のポストに
配られますよね。
豊橋では赤星のレーサーパンツと競走用ヘルメットでS級選手が配達しているんですよ。
出走表の印刷は入札で町の印刷業者が請け負ってるんでしょうけれど、
その配達にやってくるのは、颯爽と業務用自転車にまたがって
インクの香りもまだ乾かない出走表の束を、駒付のサイドの荷台に満載し、
やって来るのは、松井か島野かそれとも金子か?いやあの面は渡会か

いや、少し違うぞ、度の強い眼鏡をかけている。それに、足が白い
練習焼けがない。
そうなんです、ヘルメットからパンツまでS級のそれなんです
ここにも、競輪で人生の道筋を少し遠回りしている、一人の男がいました。


腹が減っては戦が出来ぬ!?(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)

1999年7/26〜8まで名古屋でまずまずのメンバーでのヒラ開催があったのですが、
そこに岐阜の若手で期待の高い加藤慎平(81期)が参加していました。
準優は慎平-水谷良和(愛)-西徹(石)で、慎平=水谷で100円台のオッズだったとか...

しかし結果は、3番手から西が突抜けてしまい大穴でした。
それで慎平がスポニチの記者にいった言葉。
「敗因は腹が減っていたから...」

#まぁ、これがホントの「ハングリー精神」といえば...
#でも、ちょっとナメてないかなぁ...<しんぺ〜


名古屋記録会の話(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)

さて記録会の話ですが、またもや愛知の支部長ネタ!
といっても樋口信夫さん本人ではなく、その息子さん(多分)の話
息子さんも愛好会に入って選手を目指しており今日も参加していました。
今日の種目は1000mと200mハロン。最初1000mを計り、少し休んで
200mをやっていると、樋口くんタオルを顔に当て動けなさそうな状態。
どうやら1000mで酸欠状態なった様子?

記録会を見に来ていた競輪選手もやってきて、みんなで
「どうする?200m、まぁ、やめとくか?」
「やめといたほうがいいだろ、どうする?」「どうする?」
と言われて、樋口クン、とても苦しそうに
「う〜ん、う〜ん.....、、、(小さい声でボソっと)やる...

#結局やるんかい!(笑)
数分後、樋口クンは元気に200mを走っていました(笑)


B級選手不足のウラ事情(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)

御存知かもしれませんが・・
クビにならないためには、1期間にたった7走(not 7場所)
して70点があればいいんで(ホントはもう少し複雑ですが)、
70点越えたら点数の危ない選手は皆長欠に入るんですよ。

さらに規定の出走本数を走ってない選手は、登録消除にはならないので
点数が絶対ダメな選手でも、長欠期間中は選手でいられるんです。
だから全国でB級選手が不足しているんです。

これに関する話:
岐阜のある選手は、あと1走で規定の出走本数に到達して登録消除対象
なってしまうので、もうここ2年くらい長欠です。
「練習はやっとるの?」と聞かれて
「いや、ゼ〜ンゼンやっとらん」だって....(笑)
まぁ、皆さん大変ですねぇ...


愛知の支部長、アブラで怒る(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)

ホント困りますねぇ、花月園でのアブラ事件(1999/7/20)

    誰も知らないのですが、実は数カ月前に名古屋でもあったのです(笑)
    それは愛好会練習日の前日の夜、日頃、自転車の手入れがおろそかな
    某氏は、最近ギシギシ悲鳴を上げているチェーンが気になり、
    少々多めに油をさしたのでした。

    そして翌日、その某氏が周回練習を終えて1000mTTの用意をしていると
    たまたま練習を見にきていた愛知支部長、樋口信夫さんがふと走路を見て
    「コラッ!誰だぁ〜、油バラまいとるのは〜!、
    チェーンの油くらいきちんと拭き取っとけぇ!!」

    #ゴメンナサーイ!!>樋口さん
    ##って、犯人オレかい!(爆)


「掛け声」(情報提供者・真由美さん)

ひろし「だめだ、しんじ、さきさいがせろ!」 ←先に行かせろ
しんじ「えっ (@_@;)」

掛け声に対して、↑このようなお返事はあまり聞かないものですから、
ちょっとびっくり。


「待ってくれー(笑)」の大ギア選手(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)

コレ、実話です(当時の記者さんから聞きました)

数年前の名古屋の準優の話、
近畿が片山弘城?ー加奈川だったのですが、片山クンがHSカマシを打った時
倍数の大きかった加奈川選手が切れかけました。そのときなんと加奈川さん、

「お〜い、待ってくれ〜...」
と叫んだのです。

結局、加奈川選手は追付いて何とか2人とも準優は突破したのですが、
レースから引上げてくるなり加奈川選手、片山選手に歩み寄り
「お〜い待ってくれ〜〜!って言ったの、聞こえなかったのか?」
片山(首をかしげて)「いや〜、それはちょっと....」


近頃の若いモンは・・・(情報提供者・真由美さん)

大宮での出来事。(選手から聞いた話)

最終日のA級の負け戦、前から南関・北日本・関東の並び。
北日本の先行選手(といっても実際は捲り屋かな)は、後ろ(関東)を警戒していると、
後ろで「来た〜!」の掛け声が。

レース後、前を任された北日本の先行選手は後ろに付いてくれた先輩に向かって、
「声かけてくれてありがとうございました。」と言ったところ、
「俺はなんにも言わないよ?」とのこと。おかしいな?と思っていたら、
「あっそれ俺です。」と言ったのは関東の一番前にいた郡司浩之(茨城76期)。 (@_@)

「先輩が追い込みに回ったら着が無いし、自分で捲っていったら
あわされるのがわかっていたから、行って貰おうと思って・・・。」

全く、近頃の若いモンはこれだから。。。
<成行き打鐘先行さんよりフォロー>
実はコレ、結構使えるんですよ... というか使ってます(爆)
僕も趣味の範囲で競技をやるんですが、打鐘くらいに後方から追上げて
自分から「来たぞ〜!!」と叫ぶと、前を取った選手は慌てて踏むんですよ。
すると3、4番手くらいの選手がたいてい踏み遅れて、そこに車間の
開きができるんで、そこへ追上マークを決めて中団を確保してます。
でも捲る脚が無いんで、いつもそのまま流込みです(笑)

結構、年輩のかたの所が追上マークの狙い目なんですが(ズルイ!>自分)
必死に粘(ガンバ)られて、思いっきり競負けたこともあります(爆)
トホホ...カッコ悪〜〜


某近畿若手先行屋のハナシ(情報提供者・木村さん)

こんなお話知ってます?
近畿の若手先行選手K選手、実は大のバナナ牛乳好き
競走に行くと同県の共栄費で自分用に30本は買うそうです、行った日に。
最終日にはキレイサッパリなくなっているそう…。

そんな彼、自称オナ●●トだそうです。
お家の本棚にはエロロムが所狭しと並んでいるそうな…(爆笑)。

そんなK選手、大の暑がり。
同じ部屋に先輩が居ようがお構いなしに、夏場のクーラーの温度は15・6度。
の選手はみんなトレーナーを(真夏なのに)着ているそうな

そんなK選手と同県のD選手、この選手、かなりのしぶちん。
クラブやバーで、同県の後輩が入れたボトルを勝手に飲む飲む。
おまけにその本人には一言もないそうです。


Nさん&勉さんのアマ時代(情報提供者・真由美さん)

ロス五輪のスプリントでメダルを獲得した勉さんですが、
当時、勉さんのライバルというか、勉さんより強い選手がおりました。
自転車の名門シマノ所属のNさんです。

国内の大会では当時はNさんの方が強く、
オリンピックの選考会でも優勝したのはNさんだったそうです。
Nさんと勉さん、オリンピックでは揃ってスプリントに出場したそうですが、
なんとNさん予選で落車。そして勉さんがメダリスト。
勝負事にタラレバはありませんが、
もしNさんの落車がなかったら、きっとNさんがメダリストになっていたことでしょう。

昭和60年1月29日 日本競輪学校57期合格発表。
合格者の中にはNさんと勉さんの名前がありました。
今でも大阪57期のNさんと青森57期の勉さんは
2人共頑張ってS級選手として活躍しております。

注;おことわりしておきますけどぉ〜
σ(^_^)はぁ〜勉さんとはぁ〜同じ年齢ではありませんよぉ〜。
<カミガタよりフォロー>
大阪のKCSCが練習地で、筋肉質で片山 弘城(大阪75)のコーチのNさん。
競馬が大好きだそうで、JRA輪友会とも交流があります。
今度Nさんに予想を教えて頂きたいものです。


ロスの超特急99年7月現在(情報提供者・真由美さん)

ロスの超特急こと坂本勉さんは、
腰痛と戦いながらなんとかS1(たまにS2)を維持しております。
     
全日本選抜でのあの競走のあとは、
精神的にかなりまいってしまったそうですが(当然でしょうね)、
平成9年の2月22日ふるダビ防府2日目2次予選
2がずらっと並んだ日に、通算300勝を達成いたしました。
※これについては、週刊モーニングのガンブルレーサーの
欄外に投稿して、テレカを頂きました。
今は年間10勝ペースですね。

冬場の冬期移動も、取手から仙台に場所を移しましたが、
去年あたりからはその冬期移動も止め、地元で練習しています。
勉さんには弟子はおりませんが、弟子もどきがおりますので、
もどきとバンク練習を中心にやっているようです。

私は幸か不幸か、勉さんの絶頂期のころは全く知りません。
競輪選手坂本勉さんをはじめてみたのは、平成6年10月の京王閣記念。
このとき後閑信一くんの決勝2着。
これ以降は記念決勝での連絡みは無かったような。
一方、自転車競技選手としての坂本勉さんは。。。
う〜ん、勉さんが高校生の頃を何故か知っています。
三戸(=さんのへ)高校時代から強かったですよ。

勉さんと同じ八戸競技場を練習バンクとする真由美さんでした(^^ゞ
※今は神奈川県民なんですけど、Web上では青森県民ガセネタになるかもしれませんが...(笑)