師匠の家によってSchの「競輪アラカルト」?をみてたら
高橋健二の特集がやってました。
高橋健二の師匠の黒須さんがでてましたね。
師匠と二人で見てたら「久しぶりに黒須さんを見たなぁ」
とつぶやいてましたよ。
師匠の叔父は、選手登録No2ケタの競輪が始まったばかり
の頃の選手で黒須さんが弟子になるそうです。ビックリ。
師匠も30年以上前に黒須道場に行ったことがあるそうです。
そしたら、当時20歳ぐらいの久保千代志が留守番してた。
師匠は残念ながら競輪選手にはなれませんでしたが試験の時に
黒須さんにマッサージしてもらって「普段してもらったこと
ないからおかしくなっちゃたよ」と言ってました。
師匠は競輪話が大好きですからそのあと食事に行ったら・・・・
家に帰り着いたのは、朝の5時!
はぁー、またやってもうた。
伊藤嘉浩(岐阜)復活なるか!?(情報提供者・輪隣人さん)
今年前半まではS級昇格に近い点数をあげていた伊藤嘉浩(岐阜)。
最近は随分点数を下げたんですが、
新聞によると「今まで、女に狂っていた。」そうだ。
そこから救ったのが、例の人命救助の富岡健一(岐阜)だ。
今年は、命から恋の病まで、人を救うことに縁が有る富岡選手。
今度は、自分の点数も救えよ!
ちなみに、伊藤選手は来年早々、結婚するそうです。
そして、子供も生まれるそうだ。
おめでとう。
でも、早よS級に上がらんかい。
福島には鈴木健一選手が二人いる(情報提供者・真由美さん)
ふ〜んん。鈴木健三っていうプロレスラーがいるんですかぁ。
10月10日の京王閣記念A級特選で2着に突っ込んだ福島69期のほうの健一さん(ケン)は、
A1に上がったのが30才の時という、超遅咲き?選手です。
学生の時はバリバリのロードマンで日大のキャプテンをつとめていました。
そういう脚なもんで、千トラのタイムが全く出なかったのですが、
どういう訳か競輪学校の試験当日にだけ、タイムが出ちゃった(@_@)。
目出度く選手になりましたが、B級暮らしがかなり長かったそうです。
因みにA級優勝は未だ無くて、師匠が凄〜く気にしています。
「ケンはね、練習では強いんだけどね。。。。実践では。。。」
因みに福島にはもう一人鈴木健一という選手がいまして、こっちは67期です。
こっちの健一くんは、10月3日の平塚初日に落車し、
骨盤骨折でそのまま平塚に入院しています。
精密検査の結果次第ですが、選手生命の危機らしく、
「どういう顔でアイツに会えばいいんだよぉ」って。。。
健一くんの弟の規純くん(=のりよし・75期)も骨折で入院したまんま。。。
話を聞いて、超ショックでした。
アマに混じって競技大会に出る競輪選手(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)
プロアマの出場規定に関しては、残念ながら私もよく知りません。
ただ昔みたいに「プロとアマはハッキリ区別!(アマレースにプロは出ちゃダメ)」というのは、
かなり無くなっているようです。
たぶん五輪にプロ出場が認められたことが、大きな背景になっていると思います。
個人的にもその方が、自転車競技のレベルアップにつながると思いますし...
その昔、中武カツヲさん(大57期、元シマノ)が競輪選手になってから、
シマノ鈴鹿ロードに出て、それだけで大問題になったことがあったそうです(本で読みました)。
でも今は、去年の「けいはんなサイクルロード」のシニアクラス(笑)に、
藤谷昇さん(奈49期、奈良支部長、世界戦のロード元代表)が出て、優勝をさらっていきましたが、
何も言われませんでした(自分で目撃しました)。
みんな藤谷さんのこと「知らないから」というのではなく、
実況でも「藤谷選手は現役の競輪選手です!!」と紹介されていた程です...(笑)。
実況はお馴染み、吉井猛さん。
プロ競輪選手と、ベロチスタ・タニムラ・バールイズミというチームの2足のわらじを履く
丸山選手は、かなりのスプリントスペシャリストで、全プロでもそこそこ活躍していると思います。
またロードも結構好きみたいで、シマノ鈴鹿にはちょくちょく出ていました(今年は出ず)。
さらに、月刊誌の「サイクルスポーツ」のフリーマーケット(中古品売買)のコーナーに、
自分のパーツ等を売りに出していたこともありました。バックナンバーを調べれば、彼の住所が
分かるかもしれません>丸山繁一ストーカーの皆様(爆)
また、多田司選手もロード大好きで、やはりシマノ鈴鹿に出ていた時期がありました。
シマノ鈴鹿はパンフに「一言」を記載する部分があったのですが、多田選手の一言は、とてもこの場には
書けないようなたいへん「オゲレ2」な御言葉でした(爆)
さみしがり屋の堀田さん(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)
さて、9月12日に豊橋競輪場にてアマの大会「豊橋チームピスト」が行われました。
そこに元選手の堀田伸一さん(愛55期)が出場されていましたので、レポをします。
競技は10時前から始まり最初がケイリン予選、私と堀田さんは同レースで、
個人的には 「(強いので)ちょっとマズいなぁ...」と思っていたが、時間になっても堀田さんは現れない。
「これは欠場、ラッキーか?」と思った矢先、レース直前に登場。で開口一番「自転車に乗るの
去年のこの大会から1年ぶり!、昨日も2時まで飲んどった!、自転車なんかホコリかぶっとるよ!」
見ると確かにホコリがかぶっている...(笑)
おまけにレースが始まると、なんと私の目標選手の番手を主張!、
「元プロと競ってもなぁ...」と私は仕方なく3番手に引きました(涙)
レース後、予選突破した堀田さん「まぁ(時間に)ギリギリでアップもできんかったわ」、
すると近くにいた知合いの方が「今のレースがアップになっただろ〜」と返すと
堀田さん「アップどころじゃないって、もうアップアップだって〜〜」と中途半端にサブい
ギャグを言ってくれました、私は評価に困り43点(100点中)をつけました(爆)
この豊橋チームピスト、堀田さん以外にも何人かの豊橋の現役選手が顔を出されていました。
私が見ただけでも、和田治恭(64期)選手、大竹広治(41期)選手、白井一機(65期)選手です。
さて堀田さんですが、時間ギリギリに来たのはいいのですが、なんとチェーンを忘れて
しまいました。そこでたまたまそこに居合わせた大竹選手を捕まえ、チェーンを貸してと
頼み込み、そのままその日1日チェーンを借り切ることにしてしまいました。
その後、大竹選手は「今日は練習でき〜〜ん!」と号泣?していたそうです(爆)
なお堀田さん、さすが1年振りだけあって決勝は4着に終わりました。
ちなみになぜ「さみしがり屋」の堀田さんなのかと言うと、引退した今でも堀田さんは
昔の仲間に会うために、ひょっこり開催中の豊橋の検車場に顔を出すそうだからです(笑)
富岡健一(岐阜)が人名救助(情報提供者・輪隣人さん)
中日新聞が伝えたところによると、
「四日朝、岐阜県山県軍の堤防道路で母親と女子高生の娘が自動車で、川に転落。
車外に流されたところを、自転車に乗った小学校の女性教師と、
自動車に乗った富岡選手が他の人と協力して親子を救助、親子は軽傷ですんだ。
警察はこの二人および協力した人を表彰する予定。」
カラー写真入で、現場の状況を説明する富岡選手がジャージ姿で、茶髪の長髪が少しダサい。
163センチの小型選手なんで、1ートル30センチの深さでも
濁っていたので、川に飛び込むのに勇気が要ったそうです。
それにしても、女性教師が自転車で、競輪選手が自動車で通りかかったところというのは、
反対だったらよかったのに!
レーサーパンツとヘルメット姿で写真に撮ってほしかったです。
選手もポイ捨て禁止ィ〜(byN野)(情報提供者・カミガタ)
バンクにポイ捨て・・・そんな客は嫌ですよね。
車券はまだいいとして、エンピツやボールペン(いつかの和歌山記念に出てたY岡に対して)なんてものや、
花月園の油(これは投げるものじゃないけど)なんかは開催の邪魔で止めてほしいものです。
ところが、選手にもこれをやる人がたまにいるのです。しかも客の目の前で(怒)
8月17日のびわこ4R。一気に捲って1着でゴールした相原邦雄(埼玉72)。
4角手前の客から「何かくれ〜〜」の声。
そうするとA級一般戦にもかかわらず、88点を所持してた相原選手は手袋を脱いだ。
客は金網の上へ登って投げるのを拾おうとする。
ところが、相原選手は客の方も見ずにいい加減に後ろに軽く投げる。
当然高い金網だから客の方に届くわけがない。手袋はバンクの上に。これではただのゴミのポイ捨てである(爆)
「おーい、相原〜!戻ってきてくれー」の声も空しく、敢闘門の方へ去っていきましたとさ(笑)
手袋は係員が拾って、何とか客の元へ届いたわけですが。
相原君、ちゃんと拾ってくれた係員に謝ったのかな〜。
8月9日の朝日新聞によると、瀬戸光義選手(長崎10)62歳の
引退セレモニーが8月8日、佐世保競輪場で行われたことを伝えた。
「八歳のとき長崎で原爆に被爆し、爆心地から2キロであったにもかかわらず、
山陰であったため、助かり、その後、親戚の勧めにより、競輪の世界に入り昭和30年にデビュー。
この、7月27日岸和田の最終レースを一着で飾った。出走回数3,628回
優勝回数51回。 佐世保競輪によると、競輪選手の平均在職年数は
23年、60歳以上の選手は3人いるが、今年で全員引退するそうだ。
長く続いた秘訣は本人の談によると、練習だけだそうだ。毎日130キロ
走ったらしい。」(以上朝日新聞の記事から抜粋)
私も、読売、中日、スポーツ報知、スポニチ、中日スポーツ各誌を見たんけれど、朝日だけの記事でした。
それも、カラー写真入りでブルーのレーサーパンツが印象的でした。
長崎被爆の8月9日に因んだ記事で、各新聞社も、企画はいろいろあたんでしょうけれど、
朝日の担当記者は競輪好きだったのかな?
「月間競輪」誌8月号によると、7月25日現在、瀬戸選手の競争得点は
69. 62 得点順位は3898位とのこと。
お疲れ様でした
朝日勇のプレゼント(情報提供者・成り行き打鐘先行さん)
2年程前の豊橋にて、 朝日勇(愛74期)が優勝したのですが、その表彰式でのお話。
朝日は式後に勝負服を投入れ、数名のファンと握手をして帰ろうとしました。
しかし、勝負服をゲット出来なかった一人の兄ちゃんが、「パンツをくれ」と
言いました。当然朝日は「ダメダメ」と拒み、その場を去ろうとしましたが、
その兄ちゃんは、「じゃあ靴くれ!」と言いました。
一旦はレーサーの所まで戻りかけた朝日も「んも〜、そんなら靴もやるわ!」
と言って、式用の運動靴(レーサーシューズではない)を両方とも投げ入れました。
その後朝日は裸足のままレーサーに乗って場内を一周しましたが、その姿が
何ともマヌケでした。
#しかし靴なんかもらってもねぇ...
#その兄ちゃんには、臭いを嗅いで「くせぇッ!」ってボケてほしかった(笑)
元選手の思い出(情報提供者・輪隣人さん)
豊橋場外で選抜のオッズを見ていた時、隣の席に70歳前ぐらいの
小柄な老人が、普通のファンと違う雰囲気で、ずいぶん専門的な資料を
駆使して予想を立てていました。
どちらからともなく雑談をしていると、やけに選手のことに詳しいし、
裏方のことにも詳しいんで、尋ねてみると、何と、昭和25年登録の元選手だそうだ。
豊橋競輪場も以前は33バンクだったとか、昔はC級があったとか、高松宮杯にも
出たとか。
そして、引退後、職員となり、鐘を叩いていた時期があって、叩くのを忘れた
こともあったらしい。
しかし、本人が一番強調したのは
「定年までは、車券が買いたくてしょうがなかったのに、出来なかったことが一番つらかった。今は毎日、競輪場で車券を買えて競輪を楽しめるのが楽しくてしょうがない。」
ある選手を見て、「彼女から選手宿舎に電話が度々かかってきて、伝言せよとか、取り次いでくれとかで、本当に困ったことがあった。女好きだったけど、S級で残っているのは立派だね。」
本当に競輪が好きな元選手でした。