澤田光浩(福井63)2000.02.05付掲載

その前の週の門野匡秀(滋賀61)選手からのご指名。

去年99年は、A級落ちに泣かされたが、当の澤田は明るい声

「1月別府13(2)で、決勝戦で澤田義和(兵庫69)くんを好マークして2着に入ったんですわ。99年12月にS級復帰してからは、予選を何度か1着で通過しています」(澤田談)

ただ、99年8月から11月までのA級への陥落時は、本当につらい4ヶ月間」だったとか

「S級に長くいると、S級の流れになじんでしまうみたい。ただA級をナメたらいかんということは痛切に感じた。本当はS級とA級は、多くの人が考えているほど、力量差はないのかも」(澤田談)

それでも、この期ではうまくS3班の得点がキープできた。ホッとひと安心といった表情だが、今の地位に甘える気は毛頭ない

「94年前橋の寛仁親王牌に出場以来、もう一度特別競輪にも出たいし、8月末には「ふるさとダービー福井」もある。気をゆるめるわけにはいきませんよ」(澤田談)

と武者ぶるいしていた

昭和43年11月13日生まれ
945戦134勝2着122回3着115回、SA混合戦で1回優勝、S級で準優勝3回
168センチ70キロO型
趣味:競馬観戦
車:スパシオ
好物:うどん・そば
プロ野球:中日ファン、星野仙一監督を応援
好きな言葉:初心忘れるべからず
走路:○向日町
   ×西宮


前田知機(滋賀68)2000.01.22付掲載

A1にしては少々地味な存在に映る。暮れのびわこ準記念のA級戦ではピンピンで勝ちあがった実績もある

「相性抜群の橋本宜明(兵庫63)さんの先行にうまく乗れた。けど、決勝戦で落車。右ヒザを打撲した」(前田談)

「ボクの場合、ウエートトレーニングの効果で、A1班が維持できている。だから、今後もウエートトレだけは続けていくつもり」(前田談)

京都でデビュー。滋賀県に移って4年が経過した

「向日町の400走路で練習するより、びわこの広いバンクの方が間違いなく力が付くみたい」(前田談)

久米康徳(京都70)は、京都・向陽高校の2年後輩(カミガタ注・ここの記述はおかしい。2年後輩なら70期は受験できないはず。私と同じ年(ストレートだと71期)になるから)。同じ京都の南昇(引退)門下で、汗を流した仲間でもある

「人のものを横取りしよう、というような気持ちがボクにはない。これは競輪界では不利かもしれませんね」(前田談)

と、自分の性格を分析するが、上昇志向がないわけではない

「調子に波があるのが、玉にキズやけど、やっぱり少しでも安定した成績を残したい」(前田談)

昭和46年7月15日生まれ
729戦106勝2着83回3着75回、A級優勝2回
176センチ75キロO型
趣味:音楽鑑賞・スポーツ観戦
好物:カレー、すし
尊敬する人:父親の道弘(53)さん
家族:富美子夫人(33)、海斗(かいと)くん(6つ)、大地くん(3つ)の4人家族
走路:○びわこ
   ×名古屋、四日市


佐藤成人(大阪71)2000.01.08付掲載

 前回登場した村上義弘(京都73)とは、アマチュア時代からの顔見知り。当時からお互いにプロ選手を目指して発奮を誓い合った仲だという。そんな村上から厳しい? 年賀状をもらった。

「“今年S級に戻れんかったら友だちやめます”の文句には、ハッとした」(佐藤談)

デビュー以来、順風満帆にS級入りを果たした佐藤だったが、ヘルニアを患ってダウン。村上とは、大差がついてしまった。

昨年中盤当たりから、徐々に自慢の先行力が復活。初日特選シードも多くなった

「長欠後、優勝はまだ一度もないんですワ。11月甲子園、びわこで決勝2着にはなっているけど、競走内容には不満が残るし…」(佐藤談)

スポーツジムで知り合った苗子夫人(24)と、昨年9月に入籍。
2月には“自分を変えてみる”ために、奈良県への移籍が決まっている。

「秋に結婚して、生駒市内にマンションを購入したんですよ。練習自体は阪奈道路と奈良競輪場で、以前同様なんですけど、気持ちの面で変化が出るはず…」(佐藤談)

基本的にはこの先も、徹底先行で戦っていく腹づもりである

昭和49年1月15日生まれ
512戦93勝2着82回3着68回、A級優勝6回
171センチ75キロB型
趣味:犬の飼育(ミニチュア・シュナウザーを飼っている)
車:スパシオ
好物:肉(ロース)
尊敬する選手:師匠の島岡謙治(大阪49)
走路:○33バンク
   ×長走路


村上義弘(京都73)1999.12.25付掲載

 中澤孝之(大阪56)とは隠れ練習仲間。村上が岸和田へ行ったり、中沢が向日町へ来たりが約2年続いている。
岸和田では牛滝街道、向日町では湯の花街道。

「村上くんと一緒に汗を流すと、勉強させられることがものすごく多い。お世辞抜きにええ選手や!」(中澤談)

関係者の中にも、礼儀正しさプラス負けじ魂のある村上の人間性のすばらしさをたたえる声が大きい。

衝撃の発言
「あと2、3年のうちに自在タイプに変わることも考えている」(村上談)

直美夫人との子供が4月に誕生予定。

昭和49年7月6日生まれ
133勝2着71回、S級優勝2回(いずれも2、3班戦)
171センチ77キロO型
趣味:海釣り
プロ野球:今はオリックス、阪神を応援
尊敬する選手:松本整(京都45)、山本真矢(京都65)


阿部康雄(新潟68)1999.12.11付掲載

 今回は近畿以外の選手を取り上げた。
大矢勇一(大阪65)とは大の親友。
96年小倉競輪祭・1次予選で阿部−大矢でまくって2万円の大穴を出したことも

「いやいや、(あの時は)偶然二人が並んだだけ。こっちは関東ラインが一番大事。
大矢にも近畿ラインがある。身勝手な競走はお互いできませんよ。
(でも状況が許すなら)また連係してみたい」(阿部談)

もともと大矢は新潟県の生まれ。そんな縁から2人は固いキズナで結ばれている。

「今期は事故点でS2班落ち。苦しいね」
「ボクは性格的に“平和主義者”みたいなところがある。本来、競走ではガツガツしないといけな
いのかもね。競るなら競る−で、1本スジを通さないと中途半端になるから…」(阿部談)

昭和42年3月27日生まれ
711戦144勝2着104回、A級優勝6回 S級優勝4回
98年2月静岡記念、99年8月玉野記念優勝
180センチ85キロB型
好物:中華料理
苦手:ジンギスカン
エピソード:素人脚自慢で優勝。選手を目指す。
      卒業記念も優勝K−CIAのページより)(ギャンブルレーサー12巻1話目にも説明あり・カミガタ注)
尊敬する人物:師匠の原田則夫(新潟41)
走路:○弥彦、近畿地区
   ×400改修後の西武園。なぜか勝てない 



大矢勇一(大阪65)1999.11.27付掲載

98年4月の西武園記念でヘルニアが悪化。坂道を転がるように表舞台から消え、A級に落ちても苦戦の日々。

「もう2度と元の体に戻らんかって、悩みましたワ」(大矢談)

そんな時、ピラニア軍団の親方こと(カミガタ注)渡辺一貴(滋賀58)が、
大阪市内本町の「IPS」への通院を勧める。みるみるうちに体が回復
長澤道雄(兵庫65)や、原田隆(大阪77)にも紹介。

「今はハロンで11秒台が楽々出るし、状態は相当、良くなって来てる」
「再びS1班に返り咲いて、ビッグの決勝戦までコマを進めたいね…」(大矢談)

大矢の叔父の大矢憲三(新潟33=引退)の関係から、
阿部康雄(新潟68)や、笹川竜治(新潟71)らとも、じっ懇の仲である

昭和45年12月3日生まれ
774戦124勝2着116回、A級優勝10回 S級優勝4回
96年の弥彦記念で海田和宏に乗って記念制覇(←カミガタ注) 
175センチ83キロB型
走路:○西宮
   ×長走路は仕掛けづらく嫌い



長澤道雄(兵庫65)1999.11.20付掲載

12月から、3年ぶりのS級復帰。
今年前期は36戦14勝2着5回、優勝2回
同期の親友、大矢勇一(大阪65)に紹介され、
大阪市内本町の「IPS」というトレーニングセンターで針や整体治療。
それが好成績につながる。

大矢が面倒を見ている、原田隆(大阪77)も、
そのセンターで治療を受けはじめ、長澤と知り合う。

3人で沖縄に合宿に行く。そこで、大矢が選手になる前住んでいた新潟県の、
阿部康雄(新潟68)(大矢とは96年競輪祭予選で好連携ワンツー決める)に笹川竜治(新潟71)
そして大矢の叔父の大矢憲三(新潟33=引退)の息子の大矢将大(新潟81)らの新潟勢と一緒に練習していたそうだ。

「前にS級にいた時は腰痛でほとんど勝負にならなかったが、
今回は体調もいいし、以前よりも勝負になると思う」 (長澤談)

S級では、捲りもどんどん出して行きたい構えだ。

昭和46年2月21日生まれ
820戦142勝2着115回、A級優勝16回
168センチ72キロA型
車:VWゴルフ
好物:焼肉、ロース・カルビが好き
好きな言葉:努力
好きな有名人:イチロー(発言を聞くと、自信にみなぎっている印象を受ける)
走路:○向日町、びわこ
   ×走路が重い西宮、風が強い豊橋


戻る