12月から新たにS級となった選手が4人参加したふるさとダービー玉野。若手の登竜門ともいえる大会だけに、彼らの活躍にも注目が集まった。だが、4日間で勝ち星を挙げることができたのはただひとり。それもS級デビュー第一戦で勝ち、2万車券の立役者となった男−それが白戸淳太郎だ。
南関の選手だけに、西日本での知名度はどうしても低い。それを走りで一気にばん回した。それは翌日の競走からラインができたことや、彼絡みのオッズが如実に表していた。
「デビューして3年くらいはずっと先行していた」(白戸談)のだが、成績は伸び悩んでいた。それで4年前あたりから捲り、差しのスタイルに変えた。「それから3年前にA級初優勝。無理駆けをしなくなったのが良かったみたいですね」(白戸談)。その後も安定した成績を続け、ついにS級初戦を迎えた。
初戦は白戸は単騎。しかも得点的に6番車だった。「ひとり(単騎)の方がやりやすいんですよね」という話も、最初は強がりにすら聞こえた。それが中段の位置取りから最終バック過ぎ、単騎の捲りが鮮やかに決まったのだから驚いた。
「S級はやっぱり気持ちがぜんぜん違う」と言う白戸。「レースとか走ってみて面白い。ひとつ上に向けてのやる気もでましたね」(白戸談)。結局その後の3日間は自分の力を出し切れないまま終わってしまったが、収穫大の4日間だったに違いない。
「これからも目の前のことをひとつひとつクリアしていきたい。まずは3日間開催の1日は連に絡みたいですね」(白戸談)
今ならきっと高配を呼んでくれるはずだ。特に「やりやすい」(白戸談)単騎のときは要チェックだ。(岡田晋記者)
昭和48年4月28日生まれ
173センチ74キロ
師匠:伊藤強(神奈28)
趣味:アウトドア全般
好きな女性のタイプ:やさしい人
座右の銘:初心、全力、笑顔
愛知の西陵商で、高校ラグビー選手権日本一を経験。そのまま進学して大学に入るつもりが、第一志望大学には入ることができなかった。そんなときに「3年の春にラグビー部の先輩だった若松(将弘)さんが、渡辺(大吾)さんと一緒に学校に来て、話をしてくれたのを思い出しました」(吉田談)のが、競輪界へ入る第一歩になった。
学校では14位。先行回数は85期では3位の61回と徹底先行を貫く。
8月にデビューして7場所、優勝4回。21戦17勝だが、ポイントとなるレースで着外となり、今期の特昇はならなかった。ただ、そのほとんどは車体故障や落車がらみで、不運な面があったのも確かだ。
師匠の村佐庸(愛知54)には「特昇とかは気にせず、レースを覚えろと言われています」。だが、同期の話となると目の色が違っていた。
「ぼくは自転車に乗りはじめてまだ3年。それでも最近のレースでは、出切れば何とかなると思えるようにはなってきた。自分の形になれば大丈夫という風にね」(吉田談)
少しずつ自信を蓄えていく吉田。高校ラグビー日本一の元ラガーマンが、輪界日本一への“トライ”を目指す
昭和54年10月17日生まれ
170センチ83キロ
趣味:映画鑑賞、スポーツ観戦
好きな女性のタイプ:年上のお姉さん系
小林卓人(大阪79)2000.01.13付掲載
98年は予選で敵なしも、99年は決勝に16回進出も、連がらみがないまま終わる。
98年12月、A1班初戦のびわこで落車。右足首を痛めてしまった。2ヶ月間は何もなかったが、右足をかばうばかり踏み込むバランスが崩れて調子下降。準決突破もままならなくなったが、99年末くらいからようやく低迷を脱しつつある。
アピールポイントは強烈ダッシュにあるのだが、現在はそれが完全には生かし切れていない。
「まだまだムダ足を使ったり、レース運びが甘い。主導権は取れるけれど、流していいところで踏んでしまったりと、ペースをつかむのがヘタなんですよね」(小林談)
先行に徹する姿勢は買えるが、レース間に何度も動いて、さらに粘れるかがこれからの課題。
99年には近畿の優秀選手賞を受賞した逸材。このままで終わるわけにはいかない。
昨年中盤当たりから、徐々に自慢の先行力が復活。初日特選シードも多くなった
「今まで決勝3着が最高なので今期中にA級V、さらにS級に昇級して全国区に名乗りをあげるのが課題。でもとりあえず今の調子を維持して行くのが先決かな」(小林談)
昭和52年11月16日生まれ
169センチ71キロ
趣味:車、音楽鑑賞
車:スカイラインGTR
「車は速いのに、とよく言われます」(小林談)
好物:ラーメン
嫌いな食べ物:特にない
目標とする選手:師匠の安田光法(大阪54)と十文字貴信(茨城75)
自転車歴:95年国体のエリミネーション1位。
競輪学校では、1着7回、2着13回、3着7回、着外77回。在校成績は55位