「名伯楽・松本さんに合掌」2000.12.14日付掲載

 「カミナリ親父」はもはや死語だが、その典型的な頑固親父で、たくさんの選手を育て“競輪界の名伯楽”とまで呼ばれた松本信雄さん(岡山・元競輪選手)が12月5日の深夜、多くの弟子に囲まれて74歳の生涯を終えた。

 松本さんは50歳くらいで競輪選手を引退した。現役時代にも弟子はいたが、水島工業高校自転車部の生徒の面倒を見るようになり、やがて玉野競輪場で検車の仕事をしたころが、師匠としての全盛期だった。小橋正義は高校時代に全国優勝。プロでも特別競輪を優勝した。ふるさとダービー別府優勝の豊田知之。高松宮杯2着の片岡克己。大ケガから奇跡の復活を果たした松枝義幸。数え切れないほどのS級1班を育てた。

 早朝は鷲羽山スカイラインで車誘導。昼の街道練習は30人もの弟子が2組に分かれて練習するほど盛況だった。“おじさん”はワゴン車の中からゲンコツを振るった。黙っていても、レースで成績の悪かった者は運転席のおじさんの横に行って頭を差し出した。
 酒はいくら飲んでもいい。「下津井(松本グループ)の忘年会は死人が出ないのが不思議」と言われたが、肝臓病に倒れた松本さん自身は皮肉にもお酒を飲まない人だった。ゴルフは御法度。理由は言わない。おじさんがダメというものはダメ。だれも逆らえない。

 おじさん危篤の報が伝えられたのは12月4日の夕刻。競輪開催の最終日が多い月曜日で、全国のレースに参加していた弟子が次々と病室に駆けつけた。午後9時、昏睡する松本さんに「おじさん、目を開けて・・・」と声をかけると、カッと目を見開き、これには一同びっくり。11時に福島県の平競輪から星島太が帰り着くのを待っていたかのように息を引き取った。実の子供がいなかった頑固親父は多くの“子供”に囲まれて幸せな最期を迎えた。本当に面倒見のいい人だった。お通夜と葬式はにぎやか過ぎて、葬祭場の近所から苦情が殺到したという


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